藤沢洋希 1981年北海道札幌市生まれ。
物づくりをしていた母と、絵画を嗜んでいた祖父の影響を強く受け、小中高と自然と物づくりが出来る環境に身をおいて過ごしてきました。大学には進まず、その当時興味があった洋服の専門学校に進学しました。学校の授業は主に婦人服でした。紳士服についての授業は最後の年に数回しかありませんでした。そこで紳士服という分野の哲学、構築性、機能性を初めて知りました。それまでの表層的なデザインや基礎のない型紙の考え方を改め、自然とその分野に惹かれていくこととなったのです。学校卒業後は数少ない紳士服の知識と様々な書籍を参考に、独学でスーツを作ってそれを持って上京しました。
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Hiroki Fujisawa
求人情報が出ているわけもなく、その当時得られる情報を様々な手段で集め、いくつかの銀座テーラーさんに手紙を送ってアポイントを取っていきました。もちろん即戦力でもない素人の卒業したての若者を募集しているわけもなく、ほとんどのテーラーさんは話を聞いてくれるだけでした。会ってくれるだけでも奇跡みたいなものだと思い、いくつものお店を訪ねました。札幌に帰り出直そうと思った矢先、一番見習いに入りたかったお店から連絡がきました。そのお店とは、今や業界のみならず広く知られている、誰よりも先駆けてイタリアへ修業に行き、感覚を研ぎ澄ませ、技術を学んだ方が店主のお店でした。すぐに会いに行って話を聞いてもらい、見習いとして雇っていただける事になりました。それが職人としての人生がスタートした瞬間でした。
Boldness & Delicacy , Sense & Providence
修行中はとにかくエキサイティングな日々でした。学校の知識や技術など全く通用しない実践の仕事。針の持ち方から洋服のお直し、部品の裁断や組み立て、本当に少しづつ出来ることが増えていく実感が楽しくて仕方ありませんでした。その当時は私のような年齢の見習いが数人いて、みんな朝から晩まで縫って、自宅に帰ってからも時間を惜しみ切磋琢磨して仕事を覚えていきました。イタリアの仕立てを日本で学べる環境は無かった時代ですので、見たことのない技術や工程を見て盗み、何度も反復して自分の身体に叩き込んでいきました。構築的でありながら、柔らかい洋服。今の私のスタイルの殆どはこの当時の空気感と哲学に基づくものです。約4年半お世話になり、職人として雇っていただいた次のテーラーさんでは、とにかくきめ細かい作業が求められました。そして、なぜこういうやり方で作るのか、どうすれば作りたいシルエットを作れるのか、感覚だけではない確固とした摂理の大切さを再確認させられました。この時の4年半は私にとって本当に貴重な宝物となってます。大胆さと繊細さ、感覚と摂理。それぞれの経験のすべてが私の今のスタイルです。
その後は東京でフリーの仕立て職人として活動し、故郷へ帰札。帰ってきてしばらくは東京のテーラーさんの専属の職人としてひたすら縫い続ける日々を送っておりました。その後、中学の同級生と再会しLINEA sartoriaを開業。最初はマンションの一室で、しかもフルハンドメイドのビスポークラインしか無かったところからのスタートでした。オーダーでスーツを仕立てる文化がない、地方都市の北海道で高単価で納期が長いビスポークスーツを売ることはかなり困難でしたし、銀座と同じようなスタイルでやっていた自分に疑いの目を向けることもしませんでした。色々な方々の支えがあり、本当に少しづつイージーオーダーが出来るようになり、生地も増え、ご提供できるものが増えていきました。
イージーオーダーを構築しご注文を承っていくに連れて、そして度々東京へ行く機会に町並みや人を俯瞰で見た時に、頭を柔らかくして意識を急激に変えなくてはいけない。北海道でやるには北海道でしかできないことをやらなくてはいけないと思うようになっていきました。それは、職人であった私にとっては厳しい事のはずでしたが、金額の高い安いに関わらず喜んでくださるお客様の顔を見ていると、そんなことを考えてる自分が小さく見えてきました。家賃も安く、四季がはっきりしていて、洋服を楽しむには絶好の北海道という土地で、本州のトップレベルのお店と同じクォリティの工場にお世話になり、生地も負けない量を揃え、そして安く提供出来るようになった今の環境がとても居心地良く感じています。
ありがたいことに有名俳優様の衣装を仕立てさせていただいたり、札幌に限らず、北海道全域から日本全国に本当に素晴らしい顧客の方々に囲まれて運営をさせていただいております。安価で作れるモデルや、工房で仕立てることの出来るシャツ、ネクタイを始め、ご提供できることも少しづつではありますが増えて参りました。これから先、今までやってきたことが、一つまた一つと実を結んでいくように日々精進しながら運営させていただきたいと思っております。